戦争の悲惨さを伝える「旧変電所」の内部が特別公開されました

 4月27日(土)、28日(日)の2日間、東大和市にあります「旧日立航空機株式会社変電所」(東京都東大和市桜が丘2)の内部が公開されると知り、27日に行ってきました。

 この日は、いい天気に恵まれて、晴れ! 「玉川上水」駅から歩くこと約5分ほどで、旧変電所のある都立東大和南公園がありました。

 

 この日、お祭りイベントが開催されていまして、多くの人々が祭りを楽しんでおり、旧変電所を見学する人も多かったです。

 そうして、旧変電所にやってきたわけですが、建物の周辺は、変電所だったという設備がちょこちょこと残っていました。変電所の外観も年数がたっていることもありますが、戦争の悲惨さが伝わってくるもので、爆弾や機関銃などの被害が見られるものでした。

  

 

 内部では、戦争時の様子の写真が展示されていたり、戦争の被害が残っているところがあったり、

  

  

  

小学生が変電所見学をして、制作した新聞が展示されていたりしていました。

 

 多摩地域には戦前、戦闘機を生産する軍事関連施設が多かったそうです。変電所は鉄筋コンクリート造で2階建て。電気を減圧して工場へと送る施設でした。しかし、1945年2月、4月に米軍の空襲を計3回受けたそうです。変電所も爆弾の破片や機関掃射の被害を受けたそうですが、1993年まで稼動。そして、市民の要望を受け、1995年には市指定文化財になりました。

 旧変電所を見学する際に、資料が配られていました。簡単に紹介しますと、
昭和13年(1938年)、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に戦闘機のエンジンを製造する大きな軍需工場が建設。工場の敷地北西部に存在した変電所は、高圧電線で送られてきた66,000ボルトの電気を、減圧して工場へと送る施設でした。
 しかし、昭和20年(1945年)、多摩地域一帯の他の軍需工場と同様に、2月、4月に計3回攻撃を受け、多くの犠牲者が出たそうです。
 変電所は3回の空襲があった中、奇跡的に残りましたが、窓枠や扉などは吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片による無数の穴ができました。
 戦後は、主要設備機器の更新をしながら、平成5年まで工場へ電気を送り続けたそうです。そして、同年、都立公園の整備のため、変電所を含む工場の敷地の一部を東京都が買い取り、役割を終えました。その際、地域住民や元従業員の強い要望により、そのまま保存されることになり、平成7年(1995年)10月1日に、東大和市により文化財に指定されました。

と、簡単にまとめましたが、詳しくは下の写真をご覧ください。

 

 旧変電所は外部からもちょっとした雰囲気がかもし出しており、戦争の悲惨さが伝わってきます。2日間は特別公開されましたが、普段の日は内部は見れません。貴重な体験だったと思います。
 内部で公開された、小学生達が見学して新聞にしたことは、これからの時代に戦争の悲惨さを理解してもらう一つの方法だと思います。戦争の悲惨さを伝えることで、戦争が起こらない世の中になっていくといいのですが。

 他にも写真があります。良かったら、Photo BlogEiji’s Eye」へ!!